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個展 2011 Hanjeon Art Center、The extinction of everyday values, ソウル、Hanjeon Art Center、韓国 2009 Symbolic of consumption, 東京, 山口ーギャラリ、日本 2008 韓国文化芸術委員会の支援 - I am shop therfor I am、全州、 全北藝術會館、韓国 2008 美術空間 現 企画 公募 -Item_desire of recognition、ソウル、美術空間 現、韓国 2007 ギャラリ‐Dos 企画 公募 - Item of the Movement、ソウル、ギャラリ‐Dos、韓国 2007 Must have Item、ソウル、 學古濟、韓国 単体展 2011 SANT、取手、Ino ArArt Village、日本 2011 嘘ではない。ただ、事実もいえない。取手、space 8X8(東京芸術大学)、日本 2011 HAKURIBYORI #3、 Salon de vert、 長野、日本 2010 ATRAS、取手、東京芸術大学、日本 2010 ズレ、ソウル、space 15、韓国 2010 Simulation as a realistic、取手、space 8X8(東京芸術大学)、日本 2010 HAKURIBYORI #2、 Salon de vert、 長野、日本 2010 JUNCTION, Space annex, Tokyo, Japan 2009 space 8X8、 取手、東京芸術大学、日本 2009 ATRAS、取手、東京芸術大学、日本 2008 Romance of caribbean、ソウル, 現代デパート、韓国 2007 忠武 ギャラリ公募 入選 展、 ソウル、 忠武 ギャラリ、韓国 2007 第8回 試寫會展 作家公募、 ソウル、韓国 2007 Self Space scape, ソウル, 梨花アートセンター、韓国 2007 金山―ギャラリ 企画-新印象展, ヘイリ, 金山 ギャラリ、韓国 2006 World Art college Vision Exchange(WAVE) 、 ソウル、梨花アートセンター、韓国 2006 World Art college Vision Exchange(WAVE)、ロンドン, Camberwell college of Arts、イグリス 2005 大学美術協議会企画-スペースの作成、 ソウル ギャラリ175、韓国 2005 World Art college Vision Exchange(WAVE)、Art Space M、梨花アートセンター、韓国 2004 優秀青年ジャクガジョン-多様さとアイデンティティ、ソウル、ギャラリガイア 、韓国 2004 美しい本、ソウル、国立中央図書館展示室、韓国 2004 Between Paper, ソウル、梨花アートセンター 、韓国 2004 4th eメディアアートフェスティバル、ソウル、梨花女子大学校 、韓国 Awarded Fund 2008 韓国文化芸術委員会―文芸振興 基金 2007 ソマ ドロインクセンターアーカイ 2007 忠武ギャラリ 公募展入賞
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1996年 東北大学医学部卒業. 1998年まで沖縄県立中部病院研修医. 1998年から宮城県坂総合病院研修医. 2001年からベスイスラエルメディカルセンター内科研修医. 2004年から2006年までバンダービルト大学感染症科フェロー. 2006年11月帰国.12月より武蔵野赤十字病院総合内科副部長,感染症科. 最近では感染症診療スタンダードマニュアルの監訳もされています. -
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田中一平 TANAKA, IPPEI 1985年 東京生まれ 2009年 東京芸術大学美術学部先端芸術表現科卒業 2009年 東京芸術大学美術研究科大学院先端芸術表現入学 個展 2009年 「Material Ability -素材力の編集-」東京芸大取手校地 space8x8/茨城県WEB グループ展 2009年 「ATLAS09 -東京藝術大学 大学院 美術研究科 先端芸術表現専攻 修士課程1年学内発表展 -」東京芸大取手校地/茨城 取手市 「ハクリビヨリ」Salon de Vert/長野 「Project the Projectors 2009東京芸術大学先端芸術表現科卒業制作展」ZAIM/横浜 2008年 「ストライク2!」九段下テラス/東京九段下 「The オブジェ」財団法人 信州国際音楽村クラフトミュージアム/長野/WEB 「環境芸術学会第9大会-環境・交叉する時間-」東京芸大新港校舎/横浜 「Contrast light 菊地拓児・田中一平展」東京芸大取手校地 space8x8/茨城 取手市 2007年 「ストライク!」東京土建中野支部会館/東京中野区 「トランク トランス」東京芸大取手校地/茨城県取手市 「ピンホール写真展」東京芸大取手校地/茨城県取手市 プロジェクト参加 2008年 「炭鉱×アート -コールマインラボ-」宇部市トキワミュージアム/山口 2007年 「TAP –M1プロジェクト 佐藤時啓研究室-」取手アートプロジェクト/茨城 /M1プロジェクト 「TAP –オープンアトリエ-」取手アートプロジェクト/茨城 「川俣正 通路展 –コールマインラボ-」東京都現代美術館/東京/通路展
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2020年 8月8日、「まけんグミフェス2020」(新木場STUDIO COAST)にてデビュー 10月24日、「LOVE SPEARS・RUN WiTH YOU 定期公演vol.1」をベノア銀座にて開催 11月22日、「LOVE SPEARS・RUN WiTH YOU 定期公演vol.2」をベノア銀座にて開催 12月25日、「LOVE SPEARS・RUN WiTH YOU Christmas定期公演」をベノア銀座にて開催 2021年 1月24日、「LOVE SPEARS・RUN WiTH YOU おはよう定期公演」をベノア銀座にて開催 4月25日、華月菜々子卒業 5月14日 - 5月30日、2期生オーディションを開催 5月23日、「ランウィズ☆単独定期公演 新衣装☆お披露目うぃず」をベノア銀座にて開催 6月6日、平野詩織・富菜陽葵が研究生として加入 6月16日、「ランウィズ☆オールスター感謝祭~現メンバーラスト定期公演~」を押上WALLOP放送局にて開催 6月26日、真宮弥子・酒本晏朱卒業 7月31日、「RUN WiTH YOU☆定期公演 ランウィズとキミの夏休み〜オレがムシキングだ!〜」をグレースバリ秋葉原にて開催 8月8日、「LOVE SPEARS・RUN WiTH YOU 1st Anniversary記念公演 supported byまけんグミ」を吉祥寺CLUB SEATAにて開催 8月30日、「ランウィズ8月定期公演 ひまわり畑で私を捕まえて〜懐メロ公演〜」を池袋AKビルにて開催 10月9日、「RUN WiTH YOU 1stワンマンツアー せーのっ!はじめのいーっぽっ!」横浜公演をみなとみらいブロンテにて開催 10月16日、「RUN WiTH YOU 1stワンマンツアー せーのっ!はじめのいーっぽっ!」名古屋公演をライオンカフェにて開催 10月17日、「RUN WiTH YOU 1stワンマンツアー せーのっ!はじめのいーっぽっ!」大阪公演を心斎橋VARONにて開催 10月23日、「RUN WiTH YOU 1stワンマンツアー せーのっ!はじめのいーっぽっ!」東京公演を大塚Deepaにて開催 12月4日、JOYSOUNDにて『スキラブ♡』・『ドキ☆パレ』がカラオケ配信開始 12月5日、「RUN WiTH YOU 1stワンマンツアー せーのっ!はじめのいーっぽっ!」追加公演をみなとみらいブロンテにて開催 2022年 2月26日、平野詩織・富菜陽葵が正規メンバーへ昇格 5月19日、「RUN WiTH YOU☆2ndワンマンライブ 〜シナリオのない物語〜」を新宿BLAZEにて開催 8月8日、「結成2周年記念公演」を青山RizMにて開催 8月28日、橋本れな卒業 9月10日、矢川美雨が加入 10月14日、「RUN WiTH YOU定期公演 ランウィズ学園~転校生登場~」を四谷LOTUSにて開催 11月6日、「MAWA LOOP TOKYO 2022」出演 11月12日、まけんグミTHE☆TV WALLOP LOVE SPEARS『らぶすぴ☆だいすぴ』にてLOVE SPEARSから番組奪還。次回から「ランウィZOO(仮)」が放送開始 11月20日、「ランウィズ定期公演☆運動会編 ~寸劇の代わりにバット有り!涙の大団円~」を四谷LOTUSにて開催 11月27日、「鳴瀬りく生誕祭~鳴瀬の中にキミがいる~Supported by #アイパラ」を原宿RUIDOにて開催 12月10日、まけんグミTHE☆TV WALLOP RUN WiTH YOUの『らんうぃZOO!』開始 12月18日、「RUN WiTH YOU パパ〜ン☆パリパリ 2.5ワンマンライブ~to be continued~」をGOTANDA G3にて開催 2023年 1月16日、相葉まりんが加入 1月18日、「RUN WiTH YOU定期公演 〜リクが雪の女王〜」を四谷LOTUSにて開催 1月27日、「中野サンプラザアイドル祭DX supported by コトネの日」1曲入魂OPメドレー後のファン投票1位でEDにも出演 1月28日、鳴瀬りく卒業 2月1日、相葉まりんデビュー・新体制お披露目公演を青山RizMにて開催 2月18日、「RUN WiTH YOU 都築麗生誕祭 ~お勉強は出来ないけど歌は歌えるもんッ!~」を四谷LOTUSにて開催 2月22日、「RUN WiTH YOU 3rdワンマンライブ〜Re START〜」を新宿BLAZEにて開催 2月26日、「RUN WiTH YOUの『らんうぃZOO!』」にて都築麗企画『らんうぃずらぶすぴおバカ天才王決定戦』にて、都築麗がおバカ王に決定 3月5日、「RUN WiTH YOU定期公演 〜ランウィズレンジャー新メンバー加入〜」を四谷LOTUSにて開催 3月20日、「ステージから君へ新体制Ver.」「Re START」サブスク解禁 4月9日、「RUN WiTH YOU定期公演〜ランウィズ全15曲披露公演〜」を四谷LOTUSにて開催 5月7日、「RUN WiTH YOU定期公演〜神公演〜」を四谷LOTUSにて開催 5月16日、富菜陽葵体調不良の為一時休養 6月17日、「RUN WiTH YOU定期公演 〜ジューンブライド・絶対結婚しような!公演〜」を四谷LOTUSにて開催 6月29日、相葉まりん卒業 7月1日、「RUN WiTH YOU 4thワンマンライブ〜BUZZ WiTH YOU 2023〜」を白銀高輪セレネb2にて開催 7月15日、「RUN WiTH YOU 平野詩織生誕祭」を四谷LOTUSにて開催 8月8日、「都築麗 RUN WiTH YOU加入3周年記念公演」を四谷Lotusにて開催 9月21日、RUN WiTH YOUの『らんうぃZOO!』が最終回、来月から平野詩織ソロ番組が始まる。 10月22日、RUN WiTH YOU平野詩織の『しおりおし』がスタート 10月27日、矢川美雨が2024年1月6日の生誕祭をもって卒業する事が発表された。 11月4日、RUN WiTH YOU 5thワンマン ライブハウスツアー仙台公演が仙台SPEACE ZEROにて開催 12月9日、RUN WiTH YOU 5thワンマン ライブハウスツアー名古屋公演が伏見ライオンカフェにて開催 12月23日、RUN WiTH YOU 5thワンマン ライブハウスツアー東京公演が四谷LOTUSにて開催 2024年 1月6日、矢川みう卒業 1月13日、RUN WiTH YOU 5thワンマン ライブハウスツアー川越公演が川越DEPARTUREにて開催 4月19日、RUN WiTH YOU 6thワンマンライブ 〜CHERRY BLOSSOM PARTY〜が新宿ALTA Keystudioにて開催
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福里真一 日本を代表する 生年月日: 現在: お顔はこちらから⇒ 会社URLへ ◆実績 他多数 ◆略歴(ウィキペディア引用) ◆評判(ウィキペディアより引用) ◆モットー ◆関連リンク ◆著書 ◆感想 ◆仕事したい度 ★★★★★ MAX! 編集:コミュニケーショングループ ADNINGEN(アドニンゲン)
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2021年 11月17日、まけんグミTHE☆TV WALLOP新番組『れな⭐︎はな⭐︎とみな』が配信開始 12月14日、配信番組『れな⭐︎はな⭐︎とみな』にてユニット本格始動『靴下ほわほわDOLL(仮)』 2022年 1月31日、配信番組『れな⭐︎はな⭐︎とみな』にてna☆na☆naとしてユニットデビューする事が決定 2月11日、BIG⑤CITYキャラバン2022 supported byまけんグミ 仙台公演にてデビュー 7月7日、1stワンマンライブ ファーストラビットを横浜1000clubにて開催 9月4日、1stワンマンライブ ファーストラビット追加公演を今池3STARにて開催 10月1日、おはよう定期公演『パジャマでななな』を四谷LOTUSにて開催 10月16日、1stワンマンライブ ファーストラビット追加公演をLIVE SQUARE 2nd LINEにて開催 10月30日、ティアラ引継式 橋本れな卒業公演 新体制お披露目公演を高田馬場BSホールにて開催。白石ねおんが加入 2023年 2月11日、na☆na☆na☆1周年公演を四谷LOTUSにて開催 5月14日、na☆na☆na☆解散公演を四谷LOTUSにて開催 5月15日、「誓いのティアラ」サブスク解禁
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佐藤真一 佐藤 真一(さとう しんいち、1965年8月7日 - )は日本の元プロ野球選手。北海道出身。ポジションは外野手。右投げ右打ち。北海道拓殖銀行、バルセルナオリンピック日本代表を経てプロ入り。実働13年。40歳を迎えるまで現役選手を続けた。 ==来歴・人物 == 28歳で入団した福岡ダイエーホークス在籍時には、背番号7を与えられ期待されるも控えに甘んじる。しかし、当時の根本陸夫監督が、4番を打っていた秋山幸二が負傷欠場した際、他の選手の打順を繰り上げたりせずに佐藤を4番で起用した、ということから、打撃センスを見出されていたと思われる。 ヤクルトスワローズに移籍後も、野村克也監督時には守備堅め中心の起用だったが、若松勉監督のもと1999年は、シーズン途中6月からシュアな打撃で3番に定着。113試合に出場し、規定打席未到達ながら打率.341と打撃の才能を開花。25試合連続安打は現在もスワローズのチーム記録である。晩年も代打の切り札的存在としてパワーある打撃、驚異的な代打成功率など、その持ち味を発揮した。 フルシーズンの活躍といった目覚しい活躍はなかったものの、早々と引退したり自由契約という形で選手生命を絶つ人間が多い中、2005年40歳まで現役を務めた。見た目、生涯成績とも総じて目立つところない選手であったが、玄人好みの代打屋として若松監督のみならず、ファンからも信頼された。若手選手からの人望も厚く、2006年から古田敦也選手兼任監督のもと、スワローズのコーチに就任している。 なお、生え抜き選手・有名選手以外では珍しく、引退セレモニーも行われている。(現役最終打席も代打で出場。あわや本塁打というライトフェンス直撃の二塁打を放つ) また学生時代、勉学は常に学年でトップクラスの成績。更に野球部の中心選手で「文武両道」。東海大学付属第四高等学校時代には「松前賞」を受賞。 ==略歴 == 東海大四高から東海大を経て、たくぎんに入社。 1992年 バルセロナオリンピックで全日本の3番を打ち、銅メダル獲得に貢献。 1993年 ドラフト4位で福岡ダイエーホークスに入団。背番号は7番。 1996年 トレードにより、ヤクルトスワローズに移籍。背番号は00番。 1999年 規定打席未満ながら打率.341をマーク、25試合連続安打の球団新記録も達成。 2000年 背番号を8番に変更。 2005年 10月11日対横浜ベイスターズ戦を引退試合として現役引退。 2006年 ヤクルト一軍守備走塁コーチに就任。背番号は82。 ==略歴 == 629試合 .261 1440打数 376安打 36本塁打 155打点 25盗塁 引用元 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E7%9C%9F%E4%B8%80
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週刊ダイヤモンド特別レポート【第92回】 2010年7月13日 週刊ダイヤモンド編集部 「これだけの騒ぎを起こしておきながら、本社経営陣も支店幹部も、すべて現場のせいにして、知らんぷり。原因を究明し、解決しない限り、遅配はまた起きる」 日本郵便の現場職員は、ゆうパックの遅配騒ぎの責任を現場に押しつけて知らんぷりを決め込む幹部の態度に怒り心頭だ。 34万件もの遅配騒ぎを起こしたゆうパック。過去に培った郵便事業への信頼は地に墜ちた。 日本郵政の郵便事業会社である日本郵便にとって、ゆうパックと日通のペリカン便の統合は郵政民営化の目玉事業であり、赤字事業立て直しの試金石でもあったが、一敗地にまみれてしまった。 だが、日本郵便の経営陣には、この大失態を招いた責任感はいまだに無いようだ。 日本郵便が遅配謝罪会見を開いた7月4日、日本郵便の全支店に届いたのは「郵便事業会社のみなさまへ」という文書(左の写真)だ。そこでは、「社員のみなさまにおかれましては円滑な業務移行に向けて、万全の体制とすべく準備をしていただきましたが、送達の遅れなどの問題が発生しました」と、鍋倉真一社長が遅配騒ぎを他人事のように述べていた。 添付された想定問答集「対外スタンスペーパー」では、遅配理由が「統合による作業内容が変更されている部分の不慣れ、一部の区分機に不具合が発生したこと、運送便の遅延などが原因と考えている」と書かれていた。 つまり、ゆうパック統合に十分な準備を行ったにもかかわらず、現場の不手際で遅配が発生したとされており、統合を指揮した経営陣や幹部の責任については一切言及されていなかったのである。 客に遅配理由を聞かれたら、現場職員は想定問答集通りに答えるしかない。彼らが怒るのも当然だ。 さすがに日本郵便経営陣も社員の反発の凄まじさに気付いたのか、翌5日に届いた文書(写真)では「今回のゆうパック遅延については、もとより社員の皆様に責任があるものではありません」と、書かれていた。だが、誰に責任があるのかは触れずじまいである。 この文書を楯に各支店の幹部は5日の朝礼で「今回の遅配は誰も悪くないし、誰にも責任はない」と訓示し、遅配騒ぎの責任問題にほっかむりを決め込む体たらくぶり。休日返上で遅配解消に奔走した現場職員は、怒りを通り越してあきれかえった。まさに組織は弛緩しきっているのだ。 消費者不在の無為無策 幹部は責任逃れに終始 7月1日配達指定のゆうパックを配りきれずに翌2日に配っており、ターミナル局と呼ばれる、物流拠点が機能マヒを起こし、普通局にゆうパックが届かない大混乱が起きていると本誌がネット配信したのは7月2日夜のことだ。 この時点で、配りきれないゆうパックを配達するため、郵便事業部門の〝背広組〟と呼ばれる本社、支社の幹部に招集がかかり、ターミナル局や大型支店に動員されていた。かたやターミナル局では、局舎内に仕分けできない郵便物が溢れかえり、局舎内に入れない郵送トラックが大渋滞を起こし、周辺住民の通報で警察が交通整理に乗り出すという異常事態が起きていたことがのちに判明する。 だが、日本郵便は、本誌の「ホームページに遅配の告知を出したり、謝罪なり釈明の会見を開く予定はないのか」という質問に、「一切、回答しない」とダンマリを決め込んでいた。 日本郵便関係者は「2日の金曜日さえ乗り切れば、全郵便局(支店)の4分の3を占める旧特定局は土日は休みだし、企業の大口発注も減るから、人海戦術で処理すれば遅配を隠し通せると考えたのだろう。現場を知らない幹部の考えそうなことだ」と振り返る。 だが、3日以降、テレビや新聞が騒ぎ出すや日本郵便は一転、謝罪会見に踏み切る。 だが、鍋倉社長の釈明は、「いろんな研修や予行演習は行ったが、やや不慣れな人間が多かった」「遅配は一過性のもので、7日には正常化できる」と、現場に責任を押しつけ、まるで突発的事故が起きたかのようなものだった。 しかも、この時点で日本郵便はすでに一部の大口顧客には遅配発生の事実と、大々的に解決策に乗り出す旨を伝えていた。一方で、一般消費者に遅配の事実をホームページで公開したのは翌5日だ。小口の一般消費者などどうでもいいということだろうか。 この鍋倉社長の釈明を聞いた現場職員は怒り心頭だ。 というのも、そもそも職員は「いろんな研修や予行演習」などやったことがないからだ。 労働組合幹部は「統合のための研修なんて多くても数時間。十分な準備なんかまったく行われていない」と明かす。 下の写真は労組幹部が示した事業統合に向けた職員研修用資料だ。A4判で139ページの資料集、69ページのマニュアル、8ページの注意事項。この三点セットを幹部が職員の前で約40分棒読みする〝勉強会〟が唯一行われた研修だ。 旧郵便局の時代から、郵政グループが新しいシステムや手法を導入する場合は、「業研」(業務研修)が行われる。これは、当局が事前に労働組合に通告し、研修時間を事前に決めた上で、一般業務終了後に時間外勤務のかたちで、行われる。それゆえ、当局も職員も研修が行われた場合は、それが記録に残る仕組みになっている。 だから、日本郵便がしっかり準備を行ったとするなら、「業研」に費やした時間がその証となるが、現時点では一向に開示する様子はない。総務省は今回の遅延騒ぎについて、日本郵便に経過報告を求めており、この業研時間がいずれ焦点になるだろう。 元々、今回の統合には現場から準備不足を懸念する声が出ていた。 というのも、日本郵便の事業統合は旧ペリカン便とゆうパックを統合するものだが、統合されたのはブランドだけで、オペレーションや情報システムは統合せず、そのままだ。つまり1つの事業に二つの方式が併存しているのだ。 例えば、荷物の区分はゆうパックが郵便番号、ペリカン便は事前に割り振られた地域コードになっている。だから、それを読み取る職員の端末も異なり、ターミナル局では、職員が二種類の端末を持ち歩き、“二丁拳銃”と揶揄されている。両方を読み取れる新端末は統合までに職員の人数分揃わないというありさま。遅配の元凶となった区分機も当然のことながら、両者の仕様は異なる。 にもかかわらず、お互いのやり方をほとんど学ぶことなく、いきなりぶっつけ本番で統合したのだから、ターミナル局が混乱するのも当然のことだ。「日通から移籍してきたペリカン便担当者には事前研修がほとんど行われていなかったようだ」と指摘するターミナル局職員もいる。 しかも、日本郵便は民営化前のスリム化と称して、ターミナル局の集約と、職員定数を減らす「減員」を進めており、「一日あたりの取扱量が60万個から100万個に増える事業統合への対応は綱渡りで、いずれパンクする」と労組幹部は統合前から予想していた。 まさしく、遅配騒ぎは起こるべくして起きたのである。 遅配解消の“大本営発表”に 職員の反発は強まるばかり 日本郵便は6日にターミナル局のマヒが収まり、7日午前には遅配も解消したと発表した。 だが、現場の職員は「あんな大本営発表を信じる職員なんて一人もいない、遅配解消は言葉のトリックに過ぎない」と切って捨てる。 実際、ターミナル局のマヒが収まるということは、ターミナル局に滞留していた大量のゆうパックが今度は、配達を担当する支店に積み上がることを意味する。当然、支店はオバーフローを起こし、機能はマヒすることになる。 例えば、トヨタ生産方式を導入したモデル局で、郵政改革の総本山として名を馳せた埼玉県の越谷支店。7日夜になっても、臨時便と呼ばれる集配計画外の大量のトラックが次々とゆうパックを満載して押しかけ、局舎内には大量のゆうパックが積み上がっていた。 現場職員は、「配達指定日を過ぎたゆうパックが大量にあり、職員は“ロシアンルーレット”と呼んで、配達を押しつけあっている。人手も集配車も足りず、幹部がゆうパックをリュックに詰めて、バイクで配っている」と明かす。 つまり、7日に遅配が解消したというのは、7日以降に出したゆうパックが遅配しないということであり、それ以前に出したゆうパックの遅配が解消したわけではないのだ。まさに言葉のトリックだ。 本誌既報の通り、7日の朝には「配達指定期日を過ぎた生もの(冷蔵輸送ではない果実や野菜)はもう配達するな」との命令が出された郵便局もあり、とても遅配が解消できた状況にはなかった。 ちなみに、下の写真のように、7月2日に大阪府から埼玉県の筆者宛に送られたゆうパックは遅配が解消したとされる7日時点でやっと近所の支店に届いた。だが、その後、所在不明になり、届いたのは8日の夜だった。配達に訪れた職員は「まだまだ遅配が続いておりまして」と謝るばかりだった。 今週にも、日本郵便はゆうパックの完全正常化宣言を出す予定だが、“正常化”は現場職員の大量の残業と幹部職員の動員という人海戦術でなんとかしのいだというのが実態だ。遅配の原因である人員不足、準備不足が解消されたわけではないのは明らかだ。現場には、「夏休みに入って再び郵便物が増えれば、またパンクしてもおかしくない」との声さえある。 現在、小康状態を保っているゆうパックの集配は、顧客のゆうパック離れで物量が大幅に減ったことによるもので、これまでたどってきたじり貧の道をさらに早く転げ落ちていることを意味する。果たして、今回に遅配騒動で失った信頼とシェアを日本郵政は回復することが出来るのか。市場の8割のシェアを握るヤマト運輸と佐川急便の二強の背中がさらに遠のいていく。 (「週刊ダイヤモンド」編集部 小出康成) ソース:ダイヤモンド・オンライン(Diamond Online) http //diamond.jp/articles/-/8731 【コメント欄】 名前 コメント
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基本プロフィール 生年月日 1939年1月22日 没年月日 2021年8月19日 職業 俳優 クロノスプロフィール 総参戦回数 2 賞金獲得回数 0 復活回数 0 累計逃走時間 2時間9分37秒 平均逃走率 72.01% 最高逃走率 83.22% 逃走ポイント 15万5540 各回成績 逃走中 出演回 逃走時間 逃走率 逃走ポイント 順位 備考 時空を超える決戦個人戦 54分43秒/90分 60.8% 65660 12位/20人 江戸エリアで参戦 時空を超える決戦チーム戦 74分54秒/90分 83.22% 89880 7位/20人 略歴 中学から器械体操を始めオリンピックを目指していたが、怪我で諦めた所で「東映ニューフェイス」のポスターを見つけ応募しトップで合格。東映に入社しスタントなしで出来るアクション俳優として、映画「ゴルゴ13」「ドーベルマン刑事」「柳生一族の陰謀」「戦国自衛隊」、ドラマ「キイハンター」「影の軍団シリーズ」など、代表作を挙げればキリがないほど。また、スタントマンの育成を行うジャパンアクションクラブ(JAC)も設立。海外でも人気が高く「サニー千葉」と呼ばれるなど世界的な人気を誇る。 また、役者だけでなく映画監督としても活動。子どもの真瀬樹里さん・新田真剣佑さん・眞栄田郷敦さんも役者として活動している。 2021年に新型コロナウイルスに感染、肺炎が悪化し入院するも回復せず入院先で死去。82歳没。 クロノス略歴 逃走中2回、「時空を超える決戦」に参戦。 生年月日公表のクロノスゲーム全参加者のうち、最も生年月日が早い人物である。 自己評価はスタミナ・決断力を4、賢さ・運のよさを5と、自信の無い若人達を後目に高い評価を見せる。 個人戦ではゲーム開始から隠れ場所を探す中で現代エリアの澤部佑から挨拶の電話を受けるが、「撮影中なんですが…撮影中なんですが!」とプライベートの電話かと思い注意。澤部からはミッション協力を頼むが「終わってからでいいですよ!」と今ひとつ趣旨を把握していない様子。生垣に潜むが「難しいな。ココにいるのも」と隠れ場所に難儀。 ハンター放出阻止ミッションには一切動かず、「忍者になりきらなきゃ」と「千葉流隠れ身の術」で自然と一体化。振動アラームミッションにも動じることなく「ジッとしてますよ」と言いつつも蚊に刺されることを心配。動くことなく植野行雄から解除コードを知らされ解除する。 「今やっている事をキチンとやる事が私の使命」「人が出来ない事をやるのが忍者」と「忍者」としてずっと潜み続けるが、その横を通ったハンターに見つかり、草木をかきわけられ確保。確保されても冷静に「起こしてくれる?」と淡々と仕事をこなしていた。 チーム戦では出演時75歳256日(放送日)とクロノスゲーム最年長参戦者の1位を樹立(現在でも1位)。「千葉真一逃走中…犯罪者になったみたいだ…」と笑いながらも建物内から様子を伺う。 ハンター放出阻止ミッションでも一歩も動かなかった中、藤森慎吾と遭遇。「上手く逃げてるね」とエールを送りつつも、建物内に潜んでいることを明かすと、藤森からも身を小さくして隠れる事をアドバイスされる。 復活ミッションでも残り人数勝負ということから指揮官・藤森によって潜伏を指示。しかし、復活ミッションを制され人数は江戸4人-現代7人と3人差を付けられ「ヤベェヤベェ」と焦る。 通報ミッションでも指示によって動かず、ミッションに動く藤森・和田正人・小峠英二を「行動的でいいよ。若いのに任せしといた方がいい」と静観。その間に「全員ミッション」スタイルの現代エリアが次々と人数を減らしついに逆転。作戦が的中し「頑張れ!若者達」と陰ながら応援。牢獄から「最終兵器」と呼ばれていることも知らずに隠れ続けるが、そこにハンターが接近。壁の裏に隠れるが、ハンターが隠れる建物内に侵入。壁の隙間を通り死角を使ってやり過ごすが、ハンターが建物から出て再び隠れようとしたその一瞬を見られ、隠れきるギリギリで確保された。 が、最終的に小峠の貢献により江戸エリアの勝利。賞金200万円を山分けで獲得し、総獲得賞金「通算8000万円目(時点8117万9100円)」達成者の一人となった。 ▽タグ一覧 俳優 時空を超える決戦